卒業生の声

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高校進学
Iさん
男性

24.岡山学芸館高校 進学コース進学

高校に入るもすぐに中退
僕は去年、私立高校に入りましたが、学校がどうしても合わず、1か月も経たないうちにやめてしまいました。それからは部屋にずっといたり、親と一緒に野球を観に行ったりして過ごしていました。僕は、さすがにこのままではまずいと思っていましたが、どうしていいのかわからずにいました。親からはいろいろ言われませんでしたが、でも僕のことで悩んでいることはわかっていました。秋になり、僕の今後のことを家族で話し合うことになった時に、高校の編入がしやすい学校が岡山にあるみたいなのでどうか、と親からすすめられました。そして父親は、もしその学校に編入するなら、岡山の会社に転職して、みんなで(埼玉から)岡山に引っ越す、とまで言ってくれました。そして、ちょうどそのような話が出てきた時期に、あるきっかけで母親が三条先生と知り合い、僕の受験勉強を見てくれることになりました。それからは、ほぼ毎日のように、僕が神奈川の先生の家まで行って授業をしてくださったり、先生が僕の家まで来て授業をしてくださったりしていました。当時は、英語はアルファベットがわかるかどうかのレベルだったので、一からていねいに教えてくださいました。僕は野球と音楽が好きなので、先生と休み時間によく野球や音楽の話をして楽しかったです。おかげで無事高校に合格することができました。また先生にお会いしたいです!
一家で埼玉から岡山への移住を決意!
[代表より]Iさんは、私の知り合いの紹介で、「知り合いの息子さんが高校入学後すぐ中退し、来年度自分に合った高校に入学したいとのことでご紹介したい。」ということで、早速そのお母様にお会いしました。お話を伺うと、Iさんは数学は得意だけど、その他の教科が苦手だったので、高校受験の時は、数学のみの受験で上位校に合格し入学したものの、やはり学力面がついていけなかったことと、学校の雰囲気が合っていなかったこと、あと吃音症状があるのでこの先の学校生活でどのように影響してしまうのか不安視していたことなどを理由に、一ヶ月も経たないうちに辞めてしまったそうです。それからは、ほとんど家にいっぱなしで、時にはお母様に対して反抗的になることもあったようです。実際に埼玉県のIさんの家を訪れてみると、私に対してはとても気さくでフレンドリーに接していました。Iさんの部屋に入るといつもきれいにしているようで、飾ってある物を一つひとつわかりやすく説明してくれました。話している様子から、ア行、カ行、バ行あたりが言いにくいようでしたが、説明が上手だったので、あまり気にはなりませんでした。今後の流れとしては、ご家族の方針として、高校中退者の受け入れ態勢が整っていると思われる岡山学芸館高校に絞り、都内に勤めていたお父様は、すでにIさんのために岡山県にある会社に転職することを決意されていました。こうしてほぼ毎日、Iさんの自宅と私の家で国語と英語の対策を取ることになりました。
国語と英語を一からおさえてなんとか合格!
開始時が11月下旬で、入試が1月中旬頃。それまでに国語と英語を一からおさえていくということになりましたが、こちらもいろいろな指導経験を積んできたので、使用する問題集とペース配分は、すでにイメージできていました。Iさんのような人は、いきなり授業に入るのではなく、ある程度世間話などをして、その流れで日頃の想いをどんどん放出してからのほうが授業に入りやすいので、そのあたりも想定内として学習計画を組みました。また、授業中は自分の好きな音楽をかけてほしいとのことで、その辺も融通を利かせてあげました。年末になり、今年の年賀状を整理していたところ、Iさんのお母様は、なんと妻のいとこであることがわかりました。それがわかるや否や、Iさんは、「年が明けたらお年玉ちょうだい。」とせがんでくるようになりました。これはさすがに想定外なことでした。それからは家族ぐるみでお食事をするようにもなりました。しかし年が明けて早々に、妻の母親が旅先で突然亡くなり諸々の対応に追われ、Iさんの学習を見る時間があまり取れなくなってしまいましたが、この頃になるとIさんの国語と英語の力はだいぶついていたので、Iさんなら何とか乗り切っていくだろうと信じていました。結果として志望校に合格。Iさんは、これで好きな野球ができると喜んでいました。余談ですが、Iさんにはお年玉はあげませんでしたが、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のユニフォーム(レプリカ)をプレゼントしました。それで、そのプレゼントの届いた日が、偶然にもWBCで日本が優勝した日だったので、Iさんは驚いていました。私も想定外でした。その後彼は、3年間楽しく高校生活を過ごし、現役で東京の有名大学に進学し、それを機に一家は再び埼玉に戻ってきました。今現在は、食品メーカーの社員として活躍しています。ありがとうございました。
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