卒業生の声

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高校進学
Tさん
男性

22.東京都立戸山高校進学

他合格校:桐蔭学園高校(理数)
中学3年の秋に、僕はある事件に巻き込まれてしまいました。その事で学校は自主退学となり、内部進学ができなくなったので、別の高校を受験することになりました。残り1~2か月しかない中で、先生方は毎日熱心に指導してくださいました。また、陳述書にも協力していただきすみませんでした。裁判で僕は本当にやっていないということをどんなに主張しても、聞き入れてもらえないということはわかっていたので、今の自分にできることは、受験で結果を残すこと以外にないと思い、戸山などの難関校を受験することを決意しました。しかし、周囲の人たちからは、戸山などとても無理だと言われましたが、三条先生から「絶対に大丈夫だから」と言われ、最後まで僕のことを信じてくれました。正直、あの時必死に頑張れたのは、先生方のおかげだと思っています。これからは、どんな壁でも乗り越えて、強く生きていきたいと思います。
これから自分の力で人生を切り開いていく決意で挑む!
[代表より] Tさんは当時中学3年生。英語のグループコースのみを利用していました。小学校から有名私立校に通い、高校までの内部進学が可能でしたが、急遽高校受験をすることになったとのことで、年末からTさんを担当することになりました。Tさんが当時通っていた中学は、医学科現役合格実績の高い難関校で、進度は中3の時点ですでに高校の学習範囲に入っており、高校受験対策を始めるにあたり、Tさんは発展レベルにも充分対応できるような状態でした。したがって授業では、毎日過去問演習と、数学、理科、社会で高校受験対策としてまだおさえきれていないところの指導などを行っていました。Tさんの経緯は前代表のエリー先生から伺いました。Tさんはおとなしく、とても誠意を感じる人でしたので、犯罪をするような人物には全く見えませんでしたが、まったく身に覚えのない罪を着せられてしまったことで、Tさんとご家族の人生が大きく変わってしまいました。でもTさんは、当時の話は私には一切せず、また当時のことを思い出して落ち込むこともなく、ただ高校に合格することだけをみて、一所懸命頑張っていました。Tさんは、自分が本当に犯していないということを、努力の末に難関校に合格するという形で証明してみせたかったのだと思います。そしてこれからは、自分の心を強く持って自分の力で人生を切り開いていく決意をしたのだと思います。実はちょうどこの時期に、私は義母を亡くし、その後すぐ妻との離婚があり、これまで築き上げてきたほとんどのものを失い、大変辛い状況に陥っていました。しかし、すでに逆境に立たされていたTさんが頑張っている姿を見て、「僕がTさんを合格へと導くことができれば、僕自身はまだ生きていていいんだ、まだ生きていく価値があるんだ。」と、今後の自分の身の振り方をTさんの合格に託すことで、この状況をなんとか乗り越えたかったのです。
無謀といわれた最難関戸山高に合格!
私がTさんに都立戸山高をすすめた理由は、まずこの状況下における彼にとっての受験は、前述のとおり難関校のハードルを乗り越えることに意義があるので、そういうことであれば、彼の住む地域の公立トップ校、すなわち一昔前の都立高受験の学区制でいう旧第二学区(新宿区、渋谷区、世田谷区、目黒区)のトップ校であった戸山高を目指してほしかったからです。それ以外の志望校としては、彼がどうしても受けておきたいという海城高、おさえの桐蔭高の理数ということで決まりました。模試の成績では、戸山はすでに合格率80%以上でしたが、Tさんの場合公立中出身ではなく特別選考方式に該当するため、基本的に狭き門でした。結果として、海城については、次年度から高校入学の募集を停止するということと関係していたのかもしれませんが、例年とは異なり難問が増えたことで、そこまでのレベルには間に合わず落ちてしまいました。一方戸山は独自入試形式の出題で、公立の普通入試よりも難度の高い問題でしたが、短い期間でも充分対応できる実力をつけることができましたので、自己採点では合格者予想平均点よりも大幅に上回り、予想通り合格できました。お母様をはじめ周囲の人たちは、出願前の時点では「戸山の受験は無謀」と見ていたようですが、実際に合格してしまったので非常に驚いていました。今回のように、Tさんを合格に導くことができたことで、私は今後もこうした逆境に立たされているような若者たちを何とかしてあげたい、という使命感のようなものが芽生えてきました。こうして私も人生の再スタートを切ることができました。ありがとうございました。
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